【アーカイブ4】

2009年度 「昔ながらの町内会の忘年会」

 本年より、子供達も参加できる忘年会を!ということで、準備段階より色々と調整致しました。

 「昔ながらの町内会の忘年会」を掲げ、大人も子供もみんなで一緒になって楽しもうという趣旨で進めてまいりました。最初は、本当に無事に終了できるのかと少し不安もありましたが、参加者皆様の多大なるご協力のおかげで、本当に楽しい忘年会にすることが出来ました。最終的には当初予定を上回る180名(乳幼児を含む)に及ぶ多くの方々にご出席を頂きました。ここに、厚く御礼を申し上げます。また、景品をご提供いただきました企業・個人の皆様、早々からご協力いただいた実行委員の方々にも、深く感謝の意を表したいと思います。

 会のなかのゲーム等について終演後にいただきました皆様のご意見は、更に楽しい会にしていただけるよう次年度に引継ぎ検討させていただきたいと思います。

 本2010年が皆様にとって、より良い1年になります事を心より祈念いたします。

   忘年会実行委員長  倉田浩伸

キッズコーナーを設けました。

Miloバンドの皆様有難うございました。

キッザニアで料理に挑戦テーブル

アダルティーなテーブル

新聞乗りゲーム ここがパパの見せ所

サンタさんの登場に子供達大興奮

愛煙家テーブル

フランス語話せませんテーブル

ポケモンキッズテーブル

東京ディズニーランド攻略テーブル

落ち着いた雰囲気のテーブル

本当に鉄道ファン?テーブル

 

 

第5回 盆踊り大会

 

芽魂太鼓によるオープニングと開会式 ありがとうございます。会場警備 ご苦労様です。大会実行委員の方々 中原会長とオムラビーCJCC所長 余興&パフォーマンス よさこいソーラン、決めのポーズ! 補習授業校の生徒たち 子供神輿 ぎこちない踊りのJICA鈴木所長 来賓の方々も交えて、踊りのスタート 幼稚部のドラえもん音頭      

 CJCC共催、在カンボジア日本大使館協力の下、2009年10月18日夕刻にCJCCにて開催された、恒例のカンボジア日本人会盆踊り大会。


 例年、雨期の明けきらぬ10月の開催でありながら、過去4回とも雨を凌いで来た盆踊り大会でしたが、今回は生憎本降りとなってしまいました。


 それでも昨年並みの入場者数、1100名超えるカンボジアの若者を迎え、盛況の内に終えることが出来ました。欠かす事の出来ない主役、太鼓を披露して下さった「芽魂太鼓」の皆様、リードダンサーへ振り付け指導をして下さった福田先生、櫓設営に協力頂いたクボタ工建様、屋台出店協力を頂いた皆様、音響から設営、警備、受付と、本当に多くの方々の協力を頂き、実現できた事と感謝しています。

 そして2ヶ月近くに亘って尽力して頂いた実行委員の皆様、お疲れ様でした。

    名誉会長黒木大使閣下の挨拶 屋台&夜店&バザー&伝統細工 カキ氷 ヨーヨー釣り スーパーボールすくい お汁粉 綿飴 クレープ バザー バザー 手作りのお人形 くじ引き カレー&鶏釜飯 飴細工 トラ、虎、寅の猛虎焼き えだまめ&牛すじ煮込み 牛すじ煮込み 売れ残りそうな?おにぎり 胡椒入りソーセージ ポップコーン       カンボジア事情 第18回 カンボジアの公的保健サービス改善のために必要なものは? -保健センターの場合

(特活)シェア=国際保健協力市民の会   カンボジア事務所代表 佐藤真美

 保健NGOであるシェアがカンボジアで活動を始めたのは1988年。以来20年以上にわたり、カンボジアの農村地域で保健状況の改善を目指して活動を続けています。時期や地域によって活動の内容は若干異なりますが、一貫しているのは「公的保健サービスの改善」。現在はプレイベン州で保健センターのサービス向上に取り組んでいます。今回この場をお借りして、私自身がこの「公的保健サービス改善」について日々感じていることを少しお話させて頂きます。

 既にご存じの方もいらっしゃるでしょうが、カンボジアの保健制度では、住民に一番近い公的保健施設として、人口約1万人に対して1箇所という割合で、現在全国に960(2007年12月)の保健センターが設置されています。しかしその保健センターを見ると、建物がない、十分な器材や薬剤がない、スタッフが足りない、いても(副職で忙しいので)保健センターにいない、技術レベルが不十分...など、かなり「ないないづくし」の状況です。

 そんな保健センターのサービスを改善するために、公務員の待遇改善、効率的な予算執行、施設・設備の整備など、国を挙げて取り組むべき課題はたくさんあります。保健スタッフの能力強化を目指して、政府や援助機関による研修もたくさん行われています(スタッフが頻繁に研修に駆り出されるせいで、保健センターの本来業務に支障がでることも...)。ただ私自身、仮にお金もモノもあり、技術のあるスタッフが配置されたとしても、やっぱりこれがないと保健センターはよくならないな、と感じることは、保健センター・スタッフのチームワークです。

 一般的な日本人だと、学校や職場での経験を通してチームワークについて学ぶ機会をもちますが、カンボジアでは違うんだろうなあ、と思うことが多々あります。例えばチームワークの大前提である情報共有が、毎日顔を合わせる同僚の間でもなされていない、というのは決して珍しくはないようです。
 

 職場の人間関係は、よいチームワークを行うための必要条件だと思いますが、スタッフ同士の人間関係があまりよくない、という保健センターも少なくありません。仮にお互い不満はあったとしても仕事は一緒にできる、という見方もできますが、そもそも意識的な情報共有の場(例えば定期的に会議を持つとか、何かの活動の前に計画を一緒にたてたり確認したりする等)がない状況で仕事をしているので、仲が悪いと顔を合わせて話し合う機会はほとんどなくなります。

 

 こうなると、個々のスタッフは自分が担当している(と理解している)必要最小限のことだけに集中して、お互い助け合うこともなく、みんなで保健センターのサービスをよくしていこう、という意識が持てません。また何か問題が起きても話し合いの場をもたないので、誤解や感情の行き違いもほったらかしか、更に悪化することになります。

「保健センタースタッフ間で経験をシェアする場をもつことは大切です」


 例えばある保健センターでは、センター長と副センター長が犬猿の仲で、もはや何が直接の原因なのかもはっきりしないまま、数年来お互い顔を合わせる場を徹底的に避けている(つまり一緒には仕事をしない)ということ。本来なら協力して仕事をする立場の二人がこうだと、もちろん保健センターの運営にも影響が及びます。二人とも能力的には決して低くない人たちなのですが、その強みが全く活かされていない、という残念な状況です。

 逆に人間関係がいいところ、つまりスタッフが一緒に座って話がはずむようなところは、例え個々のスタッフのスキルが多少不足していても、互いに弱いところを補い合って全体としてうまくいっているし、個別にインプットをした場合でも、情報共有がスムーズなのでその効果が全体に波及しやすいといえます。

 「人材育成」という切り口での支援はたくさんありますが、とりわけ保健センターの業務、地域での役割を考えた場合、個々人の知識や技術を伸ばすだけではどうしても限界があると感じています。スタッフが自分の担当分野に関する研修を受けても、職場でそれを共有し活かそうとしなければ、保健センター全体のサービス強化には結び付きにくいようです。

 またよいチーム形成のためには、リーダーの役割も重要です。リーダーの資質としてはいろいろ挙げられると思いますが、シェアの活動を通して見た限りでは、必ずしも強いリーダーというわけではなく、他のスタッフといい関係が保てる人、またオープンで向上心があるリーダー(保健センター長)がいるところは、うまくいっているようです。これまでのやり方に固執せず新しいものを試せるリーダーがいるのといないのとでは、スタッフの姿勢も変わってきます。

 「チームワーク強化を通したサービス改善」というのは、もちろん新しいことではなく、既にいろいろな場所で言われ実践されてきたことですが、カンボジアの保健サービス向上を目指す援助プログラムの多くが、実はこの点を看過している気がしてなりません。文頭にも書いた通り、シェアは「農村地域の保健状況の改善」というとてもとても大きな目標を掲げて活動していますが、そのなかで常に意識してきたのは、保健スタッフや地域の人びとの「横のつながり」を強くするための働きかけです。どのような活動をするにあたっても、関係者それぞれの責任や役割を明確化し、また意識して情報を共有し、問題解決のための話し合いをする場をつくることが、保健センターがチームとして強化され、地域の保健のキーパーソンとして主体的に行動することにつながる、ということを実感しています。人間関係がこじれているところに入るのは簡単ではありませんし、時間もかかりますが、保健サービスの強化、ひいては地域の保健状況の改善につながる大事な足掛かりとして、今後も横のつながりの強化に取り組んでいきたいと思います。
    クマエ・クマウ・クマオイ 第10回 『アンコールクッキーができるまで』

KHMER ANGKOR FOODS 小島幸子  

 皆様はじめまして。昨年7月に日本人会に入会させていただいたKHMER ANGKOR FOODSの小島幸子と申します。『アンコールクッキーのマダムサチコです』と言ったほうがすぐに分かっていただけるかもしれません。カンボジアに暮らして10年以上が経ちますが、10年のほとんどをシェムリアップで過ごしてきました。昨年8月にプノンペン支店をオープンし、今後はシェムリアップとプノンペンを行ったり来たりの生活になりそうです。
私がカンボジアに来たのは1999年5月。それまではカンボジアに旅行で来たことも一度もなく、カンボジアに興味もありませんでした。大学を卒業してから日本で日本語教師をしていたのですが、『今度は海外で日本語教師をしたい!』という夢を抱き、職探しをしていたところ、たまたま見つけたのがカンボジアの日本語学校の仕事だったのです。
自分はカンボジアに行くんだ!となぜか確信し、はりきって応募しましたが見事玉砕。実はその前にも何度もJICAの青年海外協力隊の日本語教師に応募しては不合格、不合格・・と周りの同僚がどんどん海外へ派遣されていく中で私は取り残された落ちこぼれでした。


そのカンボジアの日本語学校ですが、見事玉砕したにも関わらず図々しく引き下がらずに必死にアピールしたのが功を奏し、オーナーが情けをかけてくださって『カンボジア行き』のチャンスをくださったのです。ただし、日本語教師の仕事ではなく、旅行会社でのガイドの仕事。全く畑違いの仕事ながら、とにかく海外へ出てチャレンジしたい!という一心で『何でもやらせてください!』と即答し、翌月にはカンボジア行きの飛行機に乗っていました。26歳の5月のことです。
初めてのカンボジア、シェムリアップ。飛行機の窓から見えるのはおもちゃの様な高床式の家ばかり。しかもぽつんぽつんと点在していて町らしきものも見えない。降り立ったのは今の空港からは想像もつかない、ほったて小屋みたいなシェムリアップ空港。車もほとんど走っていない、牛のほうが多いんじゃないの?と思ったほど、のどかな国道6号線。見渡す限りの田園風景。全てが群馬の田舎から出てきた私にはしっくりきて、『やっと来たぞ~!!』とわくわくしたものです。ただ、到着した当日、『では明日から出勤して。今日はゆっくりしていいよ』と言われ放り出されたのはいいけれど、食料も水も何もない。まずは水が飲みたいけれど、どこで手に入れたらいいのかも分からず、ひたすら水分を求めて歩き続けたカンボジア第一日目。今みたいにコンビニもないし、人もほとんどいないし・・・。でもカンボジア人は持ち前の人懐こさ。何だか珍しい外国人が歩いている、あちこちから声がかかり、身振り手振りでのどが渇いていることを訴えると、さとうきびジュースを飲ませてくれた。あの美味しさとお互い言葉も分からないのに一緒に笑顔でいられたあの光景は未だに忘れられない。

 到着した次の日から始まったカンボジアの歴史の勉強と遺跡めぐり。私に与えられたのはガイドの仕事、昼間は毎日オートバイに乗って遺跡に行き、お客様に遺跡の説明ができるようひとつひとつレリーフを確認し、お客様に説明するように一人ぶつぶつ言いながら何度も何度も実際に遺跡を歩き回った。夜は夜中までカンボジアの歴史を暗記。1カ月前までアンコールワットってカンボジアにあるんだ~。と無知もいいところ、アホなことを言っていた私が、赴任数週間後には立派?に独り立ちし、日本から来るお客様を遺跡へご案内したものです。毎日の様にお客様を引き連れてシェムリアップの街中や遺跡を歩き回っていた私は、あの頃どこへ行っても『モテモテ』でした(笑)。私ってすごい美人かも?と勘違いするほどのモテよう。まだまだ日本人が珍しい時代だったのですね、どこへ行っても『スレイ・スァ~ッ!』と声がかかったものです。カンボジア人男性の臆面もなく女性にアピールできる根性は、ぜひとも日本の草食系男子に見習ってほしい一面です。時代は流れ、今では全くお声がかからなくなったのは見飽きたせいか、年齢のせいか、追及はしませんが、古き良き時代を懐かしく思います。
 最高に楽しかったガイドの仕事を1年ちょっと続けた後、念願の日本語教師を2年半ほどやらせていただき、その後独立しアンコールクッキーのお店を立ち上げました。

 『どうしてクッキーを始めたの?』とよく聞かれるのですが、これはガイド時代のお客様の言葉がヒントになっています。ガイドをしていた時にお客様からのリクエストで一番多かったのが『お菓子のお土産』。会社へひとつ、ご近所さんへひとつ・・・と食べてなくなるお菓子がお土産には一番いいのですね。私がガイドをしていた頃は『アンコールワットへ行ってきました』と分かるようなパッケージに入ったお土産は何もなく、お客様のほとんどは『しかたがないからバンコク空港でチョコレートを買って帰るわ~』とおっしゃっていた時代。カンボジアにお金を落とそうとしてくれる人がこんなにいるのに、買うものがないから隣の国にお客様を取られてしまっている、カンボジアにとってこんなにもったいないことはない、カンボジアで物を作ればカンボジアの素材を使えるし、物を作るための人が必要になれば雇用も生まれる、私もこのまま大好きなカンボジアで仕事が続けられる!こんな一石三鳥な仕事はないぞ!と考えてお土産のクッキーを作ることになったのです。3か月ほどひたすら一人で家にこもってクッキーの試作を繰り返しました。毎日市場へ通って材料を吟味し、おばちゃん達とおしゃべりして、毎日毎日何百枚というクッキーを試作した日々。先の見えない不安はなかったわけではないけれど、新しいことを始めるんだ!というパワーに満ち溢れていた2003年の秋。これでいける!という味ができあがった2004年の春に会社を立ち上げ、あれから丸5年がたちました。振り返ると、とにかく走り続けてきた6年間、ものすごく凝縮した6年間だったと感じます。


 これからは、今までの『シェムリアップのお土産屋さん』という枠から一歩踏み出し、カンボジアのお菓子メーカーとしての地位を確立するため、さらに走り続けようと思っています。
2010/01/08

    日本人会ゴルフコンペ ダイジェスト 『さよなら大使杯』

 クラタペッパー代表 倉田浩伸  

 約6年間続けられてきた「大使杯」が次回1月31日に開催されます「第70回大使杯」をもちまして終了する事となりました。2月のコンペからは、「ジャパンカップ(仮称)」として生まれ変わります。現在ある「大使杯」取り切り戦は、昨年度大使杯優勝者と今回の優勝者を含め次回の日本人会ゴルフコンペにて行いたいと思います。また本年度からの新たなカップの取り切り戦は、2010年2月以降の大会優勝者全てが対象になります。カップの獲得目指して、頑張って下さい。
名称新たな2010年日本人会ゴルフコンペを今後ともよろしくお願い致します。

「2010年ハンディーキャップ改正」

すでに皆様のお手元にメールにて配信させていただいたと思いますが、
2010年度用の新ハンディーキャップを計算いたしました。昨年度のスコアーを元に算出しておりますが、入力に誤りがある場合がございますので今一度お確かめいただけますようよろしくお願い致します。
 ほとんどの方がHC増になっております。今年も優勝目指して心機一転頑張りましょう。

《各大会結果報告》
・第68回大使杯(9月27日)
 優勝:三栗 準優勝:八木 3位:奥
・第58回総理大臣杯(10月25日)
優勝:平岩 準優勝:八木 3位:ソム
・第69回大使杯(11月29日)
 優勝:横山 準優勝:岩名 3位:八木
・第59回総理大臣杯(12月20日)
 優勝:山田 準優勝:佐藤 3位:的場
(各敬称略)

2010年奪冠

幹事ご苦労様でした。

新鋭登場

スタート前の精鋭達

お問い合わせ先:担当役員 倉田浩伸   [email protected]  

 

 

 

 

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