小説・南城プロジェクト 剛毛地帯 (ギャランドゥ)

山崎 豊

スターの苦悩
 市内の一等地にあるペントハウスからの夜景を眺めながら、窪塚は沈んだ気持ちを抑えるかのように、スコッチをストレートであおった。喉元を通り過ぎた液体が器官を焼くようにしながら腹の奥へ染み込んでいくのが感じとれた。
 押すに押されぬスターとなった窪塚は、金も名声も欲しいものは全て手に入れ、何不自由ない人生を送っているはずであったが、いつからか何とも言えない空虚感に悩まされるようになっていた。心の中に巣くうその闇は、巷での人気とは反比例するかのように膨張を続けていた。

「一体、何をどうすればいいっていうんだ。」
 遠くに光る独立記念塔を見つめながら、窪塚は一人言葉を吐き捨て、再びグラスを口にした。先ほどより強く器官を焼くような感覚。
「ねえ、どうしたのよ、最近いつも難しい顔ばっかりね。そろそろ次の女のことでも考えてるんだったりして?」
 背後から聞こえてきたのは目を覚ましたばかりの真紀の声であった。
「そんなんじゃない!」
 反射的に答えた自分の声が思った以上に大きかったことに、窪塚自身が驚いた。
「はいはい、スターも大変なのよね。失礼しましたぁ。」
 真紀はそう言うと、くるりとベッドのほうへ踵を返した。大声を出されたことなど気にしていないことは、その軽い足取りから見てとれた。窪塚も反射的に大声を出してしまったものの、一回り以上年下の娘にからかわれたこと自体には不思議と腹が立たなかった。
「じゃ、あたしは今日はこれで帰るね。また、電話して。」
 真紀の冷めた言い方に対する言葉が見つからないまま、窪塚はただ軽く頷いてみせた。
 真紀が身支度を整えている間、そして部屋を出ていった後も、窪塚は目の前の夜景にぼんやりと眼をやりながら、一人考えに耽けり続けていた。

歌の意味
 その日窪塚が飯田と会うのは実に3年振りのことであった。年に数日しかない休日をハワイで過ごすのが定番となっている窪塚にとって、友人と会うことはごく稀なことであった。
「急に呼び出したりして、どうしたんだ?それにしても今回の全国ツアーもまたすごい入りだったらしいな。こっちのほうもまたすごかったんだろう?」
 人差し指と親指で金を示す仕草をしながら、飯田が言った。
「まあ、それは・・・。」
窪塚が口籠る様子を見て、飯田が察したように言葉を返した。
「おっと、そっちの話は禁物だったな。黒い噂で持ちきりの芸能界、口には注意か。で、今回もまた相談事があってのことだろう。電話の声も随分思いつめてる様子だったから、心配はしてたんだ。」
「ああ。その辺は君にはお見通しだな。」
 実際、窪塚が飯田に連絡をするときは相談事があることがほとんどであった。
 一呼吸置いて、窪塚が再び口を開いた。
「君も知ってるとおり、若い頃の俺は、とにかくステージに立てるだけで幸せだった。そりゃ、金や名誉、そんなものを求めていなかったと言えば嘘になる。それでもやっぱり、ステージにいること、それが全てだった。それが、最近どうもよく分からなくなってきてね。」
「分からないって?」
 飯田は窪塚の顔を覗き込んだ。
「僕はラブソング専門みたいな歌手だ。それで喜んでくれる人がいるのも知っている。ただ、若者が希望を持てない今、バブルのときのように愛だの恋だの、そんなことばっか歌っててどうするんだって思い始めてね。未来に大きな不安を持った連中で街は溢れかえっているっていうのに、未来予想図だの、永遠にだの、悪い冗談にしか聞こえないじゃないか。まあ、そもそも俺はなんで歌ってるんだろうって・・・。」
 窪塚はそこまで言うと、眼をつぶり、首をうな垂れた。
 飯田は大きく頷いてみせた。
「歌を歌うことの意味ってことか。まあ、俺はいわば普通のサラリーマンだし、所帯を持ってしまった以上、家族の為ってことで自分に言い聞かせて誤魔化しているだけなんだろうな。実際、俺らの歳の連中は皆似たようなこと考えてるんじゃないかな、自分の仕事について。君の場合、それが歌だったってことだろう?」
 飯田がそう言うと、窪塚はぱっと顔を上げた。
「いや。結局、俺はただ目立ちたかっただけなんじゃないのかってね、そう思うようになってきたんだよ。」
 そう言った窪塚の声はボーカリストとは思えないほど小さなものであった。
 すっかり弱り切った様子の窪塚に対して、飯田は古い友人らしく、穏やかな顔で応えた。
「僕は歌の専門家じゃないから、よくは分からないが、ラブソングだって、要は恋という気持ちを歌にするってことだろ?それでもし、将来に対する不安から臆病になってしまってる若者が多くいて、今の君がそんな彼らのことを憂いているのだとすれば、そんな気持ちを歌にすればいいんじゃないのかな?それが君にできること、いや、歌い手である君にしかできないことなんじゃないか?」
「俺にしかできないこと・・・。」
 窪塚は心の中に一筋の光が差し込んだ気がした。

明日への希望
 翌日の朝、窪塚は所属事務所である「エーペックス・トラックス」へとポルシェを飛ばしていた。週刊誌の記者たちの眼を気にして、普段はあまり独りで外へ出ることはしない窪塚であったが、この日だけはそんなことを気にする様子はなかった。
 雨季には珍しい曇一つない青空が、今の窪塚の心の内を代弁しているかのようであった。

 窪塚を乗せたポルシェがリバーサイドにあるエーペックスの自社ビルに着くと、窪塚は真っすぐに営業部長の安川の部屋へと向かった。
「安川さん、今、ちょっとお時間いいですか?」
「おお、これはこれは。窪塚さんが事務所に顔を出すなんて珍しいですね。スターのお願いであれば、こちらはいつでもウェルカムですよ。」
「皮肉は止めて下さいよ。」
そう言って安川の正面に腰かけると、窪塚はテーブルに手を着き、安川を真っすぐ見据えた。
「本日は次のシングルの件についてご相談させて頂こうと思いまして。短刀直入に申し上げます。次は、これまでと違った路線でいかせて頂きたいのです。」
 驚きを隠しきれない安川であったが、創業時からの付き合いである南城のお願いを無視する訳にもいかなかった。
「いやいや、これはビックリですが、ファンの期待も大きいので、まあ、その辺の配慮もしつつということにはなるでしょうが・・・。で、具体的にはどんなことでしょう?これまでのトレンディ路線をお止めになるということでしょうか?」
 窪塚が間髪入れずに答える。
「はい。ファンの皆には勿論感謝しています。彼らがいなかれば、今の僕がいないのも事実です。でも、この歳になって言うのも変な話ですが、あらためて歌の意味、歌の力ということを考えてみまして。それで、今歌うべきは将来を憂いている若者、不安でどうしようもない連中、そんな彼らに対してのメッセージなんじゃないかと思ってですね。それこそがこれまで私を支えてくれたファンへの義理でもあるような気がするんです。」
 心配そうに話を聞いていた安川の表情が、少しずつ明るくなっていくのが分かった。
「営業部長としてこういう発言をすべきかどうか分かりませんが、私も一度はミュージシャンを目指した人間です。売れればいいのではなく、売りたいもの、売るべきものを売るという気概はよく分かります。昔の音楽業界はそういうものであったはずです。」
 腕組みをした安川が咳払いをして、話を続けた。
「私も年頃の息子と娘のいる父親です。窪塚さんのお気持ち、お心遣いは、父として、ありがたいものでもあります。ただですね、その売るべきものというのが、具体的に言ってどういうものなのかが・・・。」
「安川さん!」
 安川の話を遮るように、窪塚が両手を広げながらすくっと立ち上った。そして、満面の笑みを浮かべながら、こう答えた。
「安川さん。その答えは、ヤングマンです。」

この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とはたぶん関係ありません。


山崎 豊(やまざき ゆたか)
カンボジアにおいて、山崎豊子へのオマージュ作品を中心とした作家活動を行う。主な受賞歴は、第4649回赤塚賞佳作、第5回ノーベルやんちゃde賞。島根県出身。

南城プロジェクトとは

2012年度実施のプロジェクト。そのミッションは、若者に元気を伝えるというもの。活動は、「スター」こと南城秀樹による歌手活動と関連グッズの販売。プノンペンやシェムリアップにおける盆踊りを筆頭に、スーパーやレストランのオープニング、結婚式などといったイベントへの参加、慰問活動等を行って行く予定。各種イベントに先立ち、シェムリアップの某ゲストハウスにおいて、生ビール一〇〇杯限定半額キャンペーンを実施。モットーは、「秀樹出没注意」。
 関連グッズとして、マキシシングルCD(タイトル未定)、スター・ナンジョーTシャツなどのアパレル、ポスター、ブロマイドなどを販売の予定。南城プロジェクトをベースにしたフィクションに「小説・南城プロジェクト 剛毛地帯(ギャランドゥ)」がある。