球技大会親善試合に参加して

太田 敬人

 2011年5月29日におこなわれたカンボジア日本人会球技大会のサッカーと僕のことについて書かせていただきます。
 僕は2010年2月から2011年3月までタイのプロサッカークラブでプレーしていました。タイのチームメイトにカンボジア代表の選手が同じ外国人選手として契約していて、僕はその選手と仲が良かったので徐々にカンボジアが好きになりました。日本とカンボジアが親交が深いことは知っていましたし、この国のサッカーもまだ未発展だと言うことも知りました。
 そんなカンボジアで日本人初のカンボジアのサッカー選手として契約し、結果を出して目立てば注目される。カンボジアサッカーの日本人のパイオニアになれる。国際大会のチャンスもあるしアジアから注目される。と思い、カンボジアサッカーに挑戦することを2011年3月に決めました。
 2011年5月には元日本代表でヨーロッパでも選手として活躍されていた中田英寿さんのTAKE ACTION主催のバンコクでおこなわれた日本とタイの震災に向けたチャリティーマッチにJAPAN ALL STARチームとして参加し、タイ代表と試合をしました。中田英寿さん、前園真聖さん、エドガーダービッツさん、その他タイで活躍されるたくさんの日本人プロサッカー選手と同じピッチに立てたことは今でも良い思い出です。
 僕のことを少しわかっていただいたところで、本題の球技大会について話をしたいと思います。
 バンコクでのチャリティーマッチの翌日、僕はカンボジアプノンペンの地に始めて足を踏み入れました。興奮がまだ冷めない状態で、やる気マンマンでひとりでカンボジアに飛び込んできました。信じる物は己の足ひとつ。あ、ふたつ。ふたつだけなのです。
 そんな感じで僕のカンボジアプロサッカークラブへの道場破りの日々が続きました。その時からお世話になっていたカンボジアフットボーラー山口さんに日本人会主催のサッカーの試合があるということで誘っていただき、その日はちょうどプロチームの練習もなかったので参加を決めました。
 球技大会の5月29日の前日は食あたりで極度の腹痛で夜中に20回ほどトイレに行きました。もちろん日付が変わる瞬間も。トイレからのトイレ。からのトイレです。5月29日は知る人ぞ知る僕の誕生日。24歳の誕生日はトイレスタート。
 29日球技大会当日、コンディション最悪の中、「こんな誕生日は嫌だ。絶対勝つ。」という意気込みで会場のノースブリッジへ向かいました。






 僕の出場した種目のサッカーの対戦相手はJAC(カンボジア元日本留学生協会)。
 みなさん日本語がお上手でサッカーに熱心だったと記憶しています。
 僕たち日本代表チームはU-16カンボジア代表監督の吉岡さんや、カンボジアフットボーラー山口さん、協力隊の方々、ビジネスマンの方々、中学生等、いろんな分野の方々が終結して、強敵に挑みました。
 主審はなんと僕も3回くらい目を疑ったのですが、Jリーグで300試合以上審判として活躍された唐木田さん。両チームすごく高いモチベーションだったことを覚えています。
 そこで吉岡さんの先制点が生まれました。
その後日本チームの足が止まり、カンボジア代表に立て続けに2点を許してしまいます。
2点ともカウンターで、さすがのカンボジアフットボールサポーターGK山口さんも防ぐことができませんでした。同点弾はちょっと忘れてしまったのですが、気持ちで取りに行って、気持ちで押し込んだファインゴールだったと思います。
 両チームとも足が止まりかけてきた後半の後半、タイから来たばかりのフットボーラーが魅せました。ハーフラインくらいからドリブルで独走、ペナルティエリア付近の絶好の場所でフリーキックを獲得。これを決めたら日本チームの勝利に大きく近づく。日本チームと日本チームの応援団の誰もがゴールを祈ったことでしょう。
 会場が静まる。
 蝉の鳴き声が聞こえてきそうなくらい暑い。
みんなの顔がもう限界って顔してる。そんな状況でそのキッカーはこんなことを考えていた。
「これ決めたらめっちゃおいしい。きたー。」
 唐木田主審の笛が鳴る。
 ピー。
 タイから来たフットボーラーの蹴った日本の期待を背負ったボールは、日本とカンボジアを繋ぐ架け橋となるようなきれいな弧を描き、ゴールに吸い込まれた。
 両チームから拍手がおこる。いや、カンボジア側からはなかったかもしれない。
 でも僕には聞こえた。カンボジアからの歓迎の拍手を。
 これからカンボジアでやっていこうとする僕を後押しするような。
「カンボジアで活躍してサッカーで日本とカンボジアの本当の架け橋になりたい。」その時僕はそう思った。
 試合はそのまま3‐2で日本チームが勝利しました。
 僕の感想としては序盤は日本チームが主導権を握り、ゴール前での決定機をたくさん作りました。しかし日本チームが途中で足が止まり、JACが勢いづきましたが、日本が終盤大和魂を出し、なんとか逆転という感じです。試合後は両チームみんなで握手やハグをしたりして健闘を称えあいました。
 カンボジアに来てすぐ、日本人会の球技大会に誘っていただき、たくさんの日本人や、カンボジア人に出会うことができてすごく思い出に残る試合でした。球技大会のサッカーで国際交流をするという企画はすごく良い企画だったと思います。毎年恒例の「日カン戦」になったらおもしろいですね。




 この試合の後の昨年の6月に僕はカンボジアのプロサッカークラブのプノンペンクラウンFCと契約し、契約してからのリーグ戦全11試合に出場し、3得点を記録しました。
そしてうれしいことにカンボジア1年目にしてカンボジアリーグで優勝し、カンボジアで№1になることができました。
 昨年の7月にはGlobal Football Academy Soriyaを立ち上げました。
 日本人の子どもたちのサッカースクールや、孤児院やスラムの訪問、孤児院やスラムに住む子どもたちを対象にしてフットサル場に招待しサッカー大会を開催、地方の少年団クラブに訪問し1dayクリニック、カンボジア洪水被害に向けたチャリティーフットサル大会、被災地にお米を届ける等、この国のプロサッカー選手としてサッカーを通してなにか僕にできることを見つけてはやってきました。
「子どもたちにサッカーを通して成長し、大人になってもらいたい。」
 それが僕の願いです。
 プロサッカー選手として結果を出し、常に向上しつつ、プロサッカー選手であるうちにいろんなところでいろんなことをサッカーを通して伝えていきたいと思います。
 最後に話を戻しますが、サッカーを通した国際交流という企画は大変素晴らしく、多くの出会いや、多くの感動が生まれると思います。是非、今年も。そしてできれば子どもの国際交流試合も取り入れてやれたらいいんじゃないかなって。
 あっ。これ絶対おもろいやん。
 今年の球技大会もサッカーを始め全ての競技でひとつでも多くの笑顔が見れることを楽しみにしています。
 文章力のない僕の記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
 僕のプロフィールや活動がブログやFacebook等にアップしていますので興味を持っていただけた方は是非チェックしてみてください。
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